713年5月、奈良時代に官令により命じられた地誌で、715年に編纂されたものと見られています。
全国各地で編纂された風土記――。
今では「出雲」、「常陸」、「肥前」、「豊後」、そしてここ「播磨」の5つの箇所に残っています。
日本最古の地誌である播磨国風土記には、地名の由来や土地の伝承、肥沃さなどが記されていますが、
1300年前には既に、この地域で人々が生活を営んでいたため、文化、自然など様々なことがうかがえます。
この播磨国風土記に根日女の伝説の舞台である玉丘古墳やその他ゆかりの地も多数が加西市に見られます。
玉丘古墳のいわれ、根日女伝説は、根日女と二人の皇子の悲恋物語です。根日女は、播磨国賀毛の里を治める国造許麻(くにのみやつここま)の娘として生まれました。
ある日、根日女は偶然ふたりの若者の命を救い、ふたりの若者は根日女を愛してしまいます。しかし、その若者たちは後に23代顕宗天皇と24代仁賢天皇となる皇子だったのです。
二人は譲り合いながら根日女に求婚したものの、根日女は里を離れることができなかったため縁談はなかなかうまく進みませんでした。
やがて、皇子は帝につき、根日女を皇后として迎えようとしますが、
根日女は病で息を引き取ってしまったのです。
嘆き悲しんだ天皇と皇子は、根日女を賀毛の里に手厚く葬りました。
その墓は、美しい玉石でおおわれていたので、
今でも玉丘古墳として言い伝えられています。