八王子神社

"ひっそりとした参道、長い石畳の階段を抜けると眼前に大きな神社"

八王子神社は、宇仁小学校の北側にあります。ひっそりとした参道、長い石畳の階段を抜けると眼前に大きな神社の姿が広がります。八王子神社は、古くから五穀豊穣、安産守護の神様として祀られてきました。

伝承によると1037年頃、この地域にかつてないほどの天変地異が起こりました。そのため、疫病や害虫が発生し、五穀は実らず、たくさんの人々が飢えて亡くなったそうです。そこで、困った村人たちは、7日7夜もの間、妖魔退散、五穀豊穣をお祈りしたところ天より『吾は、八王子大神なり、当原に鎮まり妖魔を退け五穀豊穣の地となさむ。』との声があり、疫病や害虫は治まったといいます。

その後、八王子神社では、今の滋賀県日吉大社より、八王子大神を勧請して祀るようになったそうです。

長暦元年(1037年)今の滋賀県日吉大社より、八王子大神を勧請して祀り、五穀豊穣、安産守護の神として崇敬されている。
伝承によれば、後朱雀天皇の御代長暦元年、この地 天変地異あり、疫病のため死者多く、害虫発生して、五穀稔らず、飢えて斃れる者も少なくなかったので、この地の者二十一人が、鏡ヶ原の南、大歳神社の前で七日七夜の間、妖魔退散、五穀豊穣の祈願をした。その満願の日の朝、東天ようやく白む頃、朝霧たなびく中を白幣矢を射る如く、中空に来て鏡ヶ原に降った。二十一人の者は、奇異に思い幣の降った所へ駆けつけてみると、二十一本の白幣が、そこに並んでいた。その時空中より声あって、『吾は八王子大神なり、当原に鎮まり妖魔を退け五穀豊穣の地となさむ。』と、聞こえた。祈願した二十一人は、歓喜して村人たちに伝え、広州日吉山王二十一社上七座の八王子大神を勧請して祀った。

その後、長暦二年後朱雀天皇勅使が参向されて、「正一位八王子権現」の額を奉納祈願、尚、未墾地十町歩を寄進され社領百石の諭旨賜り、開発を荘民に命じられ、荘民は社殿を初めて創建したと伝えられる。
永承四月[旧暦]九月七日祭礼当番規定を定め、その後、近衛天皇 久安三年播磨権守従三位藤原忠雅をはじめ、天永二年播磨国司中院源季房、建久年中源範影、亀山上皇の弘安の頃、左中将播磨権守藤原師良、 後醍醐天皇の元弘、建武年中播磨権守資繼王等の武門武将を経て赤松、別所、浅野等藩主の崇敬あり、降って、元文、延享、宝暦以来領主八木氏の崇敬厚く嘉永の初年に至り、領主八木丹波守より、金幣を奉納せられている

八王子神社

所在地・住所兵庫県加西市田谷町1265
TEL0790-45-0751(八王子神社社務所)
アクセス中国自動車道加西ICより北へ青野運動公苑を目標に約7km宇仁小学校北側。

中国自動車道滝野社ICより、播磨中央公園へ、そこから県道滝野市川線を加西方面へ約4km、宇仁小学校北側。
URLhttp://www4.plala.or.jp/kasai-hachiojjin/index.html

秋祭り

# 2基の神輿と練り歩く4基の子供神輿

見所は、八王子神社と妙見社から練りだす2基の神輿と「わっしょい!わっしょい!」とかわいい声と、ともに練り歩く4基の子供神輿です。なお、この祭りは酌神事と神輿練り歩きとの2つの儀式により五穀豊穣をよろこぶお祭りです。
この聞きなれない酌神事とは、八王子神社の祭神(男の神)と妙見社の祭神(女の神)との婚礼を取り持つ神事のことで、物を生み出す実りの秋の神事として、八王子神社と御旅所で三三九度の杯が交わされます。

[ 祭り詳細]
08:00~ 古式酌取り神事(八王子神社にて)
10:00~ 秋季例大祭
11:00~ 御渡出立ち式
11:30~ 酌取り神事等(御旅所にて)
12:00~ 還御・休憩
13:30~ 賑わい行事(小学生・太鼓保存会等による「よさこい」「和太鼓」の披露)
14:30~ 神輿宮納め・もち投げ等
15:00   お開き

開催時期例年10月第2日曜日

八王子神社のマップ


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