姫路海軍航空隊鶉野飛行場は、太平洋戦争が悪化しはじめた頃、優秀なパイロットを養成するため、昭和18年に完成した旧日本海軍の飛行場跡です。
飛行場の建設に伴い、昭和18年10月には姫路海軍航空隊が開設され、同時に航空整備、兵科、運用、主計、航海、機関、通信、工作、兵器、砲術、医務等の兵隊が在隊していました。
また、飛行場の西南には、川西航空機姫路製作所鶉野工場があり、「紫電」「紫電改」など500機余りの戦闘機が組み立てられました。
当時、航空隊には、17歳から25歳までの若者が全国から約320名集められ、ここで30時間の飛行訓練を受けた後、各航空隊へと散っていきました。
昭和20年には、練習生による神風特攻隊「白鷺隊」が編成され、終戦までに63名の尊い命が失われました。現在も、飛行場の周辺には防空壕の跡など生々しい戦争の爪痕が見られる貴重な施設をめぐるコースです。
約1時間10分
総距離:約3km
播州鉄道開設時(1915年)から約100年の歴史を語る駅。法華山一乗寺や海軍航空隊の入り口駅として栄える
太平洋戦争時機関銃、爆弾等の保管場所として使用され、頑丈なコンクリートは今なお強度を保つ。
素掘りの防空壕が残るのは日本でも珍しい。内部はコの字形に曲がり別の入口につながる。危険なので進入禁止。
※素掘防空壕の内部
太平洋戦争末期に敵戦闘機の攻撃を回避するためにコンクリート構造で爆風に配慮された通路と内部は凸型に屈曲しており、2箇所の出入口でつながる。
この巨大防空壕は鶉野で一番大きな防空壕。
人が避難する防空壕ではなく、電力会社から、航空隊に供給する電源が切れたときに稼働できる「自力発電機室」。
令和2年6月より巨大防空壕シアターが開設され、特攻に行かれた方の遺書や、思いが込められた映像となっている。
巨大防空壕シアターについて http://www.hojorailway.jp/sidenkai
鶉野飛行場跡は、太平洋戦争が悪化しはじめた昭和18年に完成した、優秀なパイロットを養成するための旧日本海軍の飛行場跡。
戦闘機『紫電・紫電改』の試験飛行に使用され、日本で現存するのはここだけ。
戦後54年を経た平成11年に至り、旧海軍関係者、地元有志が協力し、特異な歴史的背景を持つ鶉野飛行場跡を貴重な歴史遺産として後世に伝えるとともに、尊い犠牲の上に築かれた今日の平和が、永遠に続くことを祈念し、鎮魂の思いを込めて、建立した。
対空機銃座が据えられていたところ。上空5000mまで飛ばせ、3000m上空の飛行機を落とすことが出来るそう。当時のまま残っている機銃座跡は全国でここだけだと言われている。
毎月第1・3日曜日
(午前10時~午後4時)入場料:大人200円、小人100円