河上山久学寺
"赤穂浪士に思いを馳せて、浅野三がく寺のひとつ"
浅野内匠頭長直は常陸の国(茨城県)笠間の城主であったが、正保元年(1644年)大阪加番を命じられ、翌年6月同じ石高をもって播州赤穂へ国替えなります。これが赤穂浅野家の初代です。
赤穂城主となった長直公は赤穂藩53000石の領地を見聞され、特に飛地で石高の多い旧加西郡の北部(現加西市)8920石の領地を熱心に見聞されました。そしてその途中、久学寺にて宿泊され、当時の住職に深く帰依され山林田畑12石を寄付され、浅野家の菩提寺として父、長重公と浅野家代々の弔祭を依頼されました。
その後、長直公は現花岳寺を再建され中興開山として久学6世と7世住職をも招請し浅野家の弔祭を依頼されました。
やがて、長直公も隠居されその子、長友が後を継ぎましたが僅か5年足らずで若死されたのでその長子である長矩が9歳で赤穂5万石の家督を継ぎ祖父の官名(内匠頭)を賜りました。
その後、赤穂藩では旧加西郡大和村(現多可郡八千代町)に灌漑用のダム建設に着手し、その工事の進行を城代家老である大石内蔵助が再三訪れ、久学寺に宿泊し、当時の住職と囲碁を楽しんでおられた様です。江戸城での刃傷事件の時、江戸から早籠が赤穂に到着した時も大石内蔵助は久学寺で碁を打っており、赤穂よりの使者から刃傷事件を聞き慌てて赤穂に帰られたという言い伝えがあります。
また、菩提寺という関係から浅野内匠頭長矩公及び46士の戒名は久学寺住職が贈ったという記録の過去帳が現在保存されているほか、大石内蔵助(花岳寺の維持、浅野家の弔祭依頼)と吉田忠左衛門、大高源五の手紙(先祖供養の依頼)も保存されています。
河上山久学寺
所在地・住所 | 加西市上芥田町982 |
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TEL | 0790-42-8823(加西市観光案内所) |