後藤又兵衛 人物像

出生

黒田二十四騎画帖

「槍の又兵衛」巨漢の大男
永禄三年(1560年)四月十日、加西郡山下村(現、加西市山下町)に、後藤家の次男として生まれた後藤又兵衛基次(通称、後藤又兵衛)は六尺(約180センチ)を超える巨漢に成長しました。
後藤又兵衛は、黒田官兵衛、豊臣秀頼に仕え、安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した武将です。「黒田二十四騎」「黒田八虎」「大阪五人衆」の一人に数えられる後藤又兵衛は、「槍の又兵衛」の呼び名を持つ男となりました。
父を早くに亡くし、黒田家へ
父は、小寺政職の下にいた後藤新左衛門基国。父の基国は、又兵衛が幼少の頃に亡くなりました。又兵衛は、姫路城の城主であった黒田官兵衛の元へと預けられ、青年期を過ごしました。後に因縁深い間柄となる長政とは兄弟のような関係で育ったと言われています。

黒田家家臣時代

大身槍 名物「日本号」

「長政の右腕」黒田家での活躍
天正十余年(1586年)、九州征伐の宇留津城攻めの頃から、黒田家家臣としての又兵衛の活躍が当時の記録にも書かれるようになりました。領地替えを巡る城井氏との戦い、文禄元年(1592年)から始まる朝鮮出兵、慶弔五年(1600年)の関ヶ原の戦いなどに従軍し、活躍しました。
戦後は、大隈城(益富城・福岡件嘉麻市)16,000石の所領を与えられ、長政に「自分の右腕」とまで言わしめたことで有名です。
官兵衛亡き後、黒田家出奔
官兵衛の死から二年後の慶弔十一年(1606年)、又兵衛は一族揃って黒田長政が後を継いだ黒田家から姿を消しました。当初は豊前国の細川忠興を頼ったものの、結局、播磨国に戻り、領主となっていた輝政を介して岡山の池田忠継に仕えました。
しかし、長政が又兵衛への「奉公構」という措置を取って干渉していたため、慶長十六年(1611年)より京都で浪人生活を送ることとなります。
講談では、名槍「天下に二ツの槍(日本号)」は、虎退治で母里太兵衛友信の窮地を救った基次が譲り受け、これを出奔時に友信の弟の野村祐勝の息子、野村祐直に渡されたとされる。

後藤又兵衛の菩提寺

曹洞宗祝融山 多聞寺

多聞寺建立
又兵衛と多聞寺との関係は非常に深く、大坂夏の陣、河内道明寺の戦いにおいて又兵衛が討ち死にしました。翌年の元和2年(1616年)に、又兵衛の三男佐太郎(太郎正方)が父と兄を弔うために、尾崎村、岩本官兵衛から土地の施しを受け、又兵衛の一周忌に合わせて多聞寺を建立しました。又兵衛の菩提寺である多聞寺は、現在も又兵衛の真牌(位牌)を本堂に奉安しています。
イベント案内

後藤又兵衛400回忌法要

  • 福岡県嘉麻市から「またべえまんじゅう」を
    200個取り寄せ、振る舞う予定
  • 日時:5月8日(木)10:00~11:00
  • 場所:多聞寺

後藤又兵衛パネル展

  • 日時:2015年1月まで
  • 場所:加西市観光案内所

多聞寺アクセスマップ

多聞寺アクセスマップ

大坂五人衆のひとり「またべえくん」です。
後藤又兵衛ゆかりの地 加西市をPRするとともにNHK大河ドラマ「真田丸」を応援していきます。
みなさん、どうぞよろしくお願い致します。

後藤又兵衛プロフィール

いろんなイベントに出陣します

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問合先:加西市観光まちづくり協会(加西市役所 文化・観光・スポーツ課内)
TEL:0790-42-8715
FAX:0790-42-8745

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またべえくん初陣 ニコニコ超会議 2016
のど自慢 in 九度山町 関ヶ原 2016